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仙台高等裁判所秋田支部 平成元年(ラ)11号 決定 1989年5月24日

抗告人 有馬宗 外1名

事件本人 有馬真理子 外1名

主文

原審判を取り消す。

事件本人有馬真理子を抗告人らの特別養子とする。

理由

一  本件抗告の趣旨は主文と同旨の裁判を求めるというにあり、抗告の理由は別紙記載のとおりである。

二  本件記録によれば、次の各事実を認めることができる。

1  抗告人らは昭和48年11月17日婚姻した夫婦であり、子供に恵まれなかつたことから、かねてテレビ放送で知つた愛知県産婦人科医会に赤ちやん養子の斡旋を申し込んでいたところ、その斡旋が成立して昭和58年9月27日、生後まもなくの事件本人真理子(同年同月15日生、以下「事件本人子」という。)を名古屋市内の出生先病院から自宅へ引き取り、家庭裁判所の許可を得て同年11月28日事件本人子との養子縁組の届出をしたもので、右の引取り以来、事件本人子は抗告人宗の両親をも含めた5人家族のいわば中心的存在として両親・祖父母の愛情を一身に集め、抗告人らの熱心な養育監護により健康に成育し、現在、幼稚園児になつている。抗告人宗は公務員であり、抗告人孝子は家事と事件本人子の養育に従事し、夫婦仲は円満であるうえ、生活面、経済面において安定している。そして抗告人らは、特別養子制度の施行(昭和63年1月1日)にともない、事件本人子との間に実親子関係と同様の確固とした親子関係を設定することを願つて、同年2月9日原裁判所に対し本件特別養子縁組の申立に及んだ。

2  事件本人藤田清美(以下「事件本人母」という。)は、会社員の父と家庭主婦の母との長女として昭和40年7月25日名古屋市で出生し(弟2人がいる)、高校在学中に同級生某と交際して妊娠し、事件本人子を出産したが、事件本人母の親権代行者たる両親には右出産の当初から事件本人子を養育する意思がなく(そのために予め愛知県産婦人科医会に対し養子の斡旋方を申し出ていた。)、事件本人母にも養育の自信はなかつたので、前記のように、事件本人子は同会の斡旋により抗告人らに引き取られることとなり、家庭裁判所の許可のもとに養子縁組の届出がされた。事件本人母は、右妊娠と出産のため高校三年生で中退し、まもなく相手方男性との交際もなくなり(同男性からの事件本人子の認知もないままである。)、また、抗告人ら及び事件本人子に対しても、その後現在まで、接触や連絡をしたことは一切なく、接触や連絡をしようと思つたこともない。それは、事件本人母が、「母親という名前だけあつても自分は何もしてやれない母親なので、事件本人子に対し今更母親として名乗り出るつもりはない。」との心境に終始しているからで、このたび本件特別養子縁組に同意したのも同じ理由に基づくものである。なお、事件本人母は、前記高校中退後、4年ほど会社に勤め今は喫茶店のアルバイト店員をしているが、引き続き両親のもとで弟2人と共に5人家族で暮しており、当面は婚姻の予定もない。

三  以上の認定事実によれば、特別養子縁組の成立に必要な諸要件のうち、民法817条の7を除くその余の要件が存在することはいうまでもないところ、右同条の7所定の要件の具備についても、前記のような事実関係にある本件においては、事件本人母による事件本人子の相当な監護が期待できないという特別な事情があり、かつ事件本人子の利益のため特に必要があるものとして、これを肯定できるものと認めるべきである。

これに対して原審判は、「事件本人母が事件本人子を出産した当時は未成年で生活能力も不十分であつたため事件本人子の養育監護が著しく困難であつたと認められるものの、その後成年に達し然るべき収入を得、預金もしているなど現在の客観的な生活環境及び生活態度に徴すると、現在においては監護が著しく困難とは認めがたく、民法817条の7所定の要件を肯認するには足りない。」として、本件申立を却下しているのであるが、右のような判断は、事件本人母の監護意思の有無等について何ら考慮していない点で失当というべきであり、採用しがたいところである。

四  そうすると、本件特別養子縁組の申立は理由があるというべきところ、これを却下した原審判は不当であつて本件抗告は理由があるから原審判を取り消し、家事審判規則19条2項により審判に代わる裁判をするものとし、主文のとおりに決定する。

(裁判長裁判官 櫻井敏雄 裁判官 田口祐三 飯田敏彦)

(別紙)

抗告の理由

1 原審判は、民法817条の7所定の要件の存否の検討にあたり

(1) 申立人らと事件本人子は、普通養子縁組をした親子であり、父母である申立人らにより事件本人子に対する相当な養育・監護がなされており、実母たる事件本人母について、同養育監護を害するなどその実親子関係を断絶することを必要とするような事由は存しない。

したがって、普通養子としての親子関係を特別養子に変更すべき必要性があるとはいえない。

(2) しかし、申立人らが事件本人子と養子縁組した昭和58年当時特別養子制度を選択する途はなかったのであるから、同条所定の要件を判断してゆくに当り、申立人らと事件本人子は親子関係にないものとしてその要件をさらに子細に判断することが相当である。

(3) 本件では、事件本人子が申立人らに引取られたころから現在までの事件本人母側の状況を全体的に考察し、子の利益のためその実親子関係を断絶することが相当かどうか判断してゆくこととする。

(4) 事件本人母の事件本人子を出産したころの状況については、未成年であり生活能力も不充分で、父親が未認知の事件本人子を養育・監護してゆくことは、事件本人母自身の将来の生活を形成してゆく途上であることも併せ、著しく困難であった。

(5) しかし、その後事件本人母は成人し、その生活能力は向上し、その生活状況も一応安定している。現在の収入(アルバイトしながら時給500円ないし600円で月収約10万円程得ている)、資力(約100万円程の預金をしていた)、自家用車を有し(但し、ローン残債務約40万円程)、生活環境(未認知の父である男性とは交際しなくなり、前住所である両親宅で両親と弟2人と同居して生活している。家庭は父と弟2人は就労しており、家族間において格別問題はない)、生活態度(当面婚姻の予定もない)を併せ総合勘案すると、事件本人母について同条所定の「養子となる者の監護が著しく困難又は不適切であることその他特別の事情がある」というべき事態を推認することはできず、子の利益のため実親子関係断絶することを特に必要とし、それが相当であるとは認め難い。

2 この原審の態度は、既に普通養子縁組をしている者が特別養子縁組を求めること自体は、同条所定の要件が充たされる限り許されるという前提をとっておりこの点では条文上特別禁止する規定もない以上当然であり、評価・支持できる。

しかし、問題はその際同条の「父母による養子となる者の監護が著しく困難又は不適当であること、その他特別の事情がある場合」の解釈である。

3 まず、原審はこの点について、右要件は現在の時点で判断すべきものという立場をとっており、これを前提にして、事件本人母は出産時、すなわち養子縁組当時、前記1(4)のとおり、右要件は認められたが、現在の時点では(5)のとおりの事情では認められないと判断しているわけである。

かかる原審が現在の時点で、実母による監護が著しく困難又は不適当という事情の存否の判断の要素として、母の生活能力、収入、資力、生活環境及び生活態度をあげている。たまたま、母が月収約10万円の収入を得ていること、100万円程の貯金と自家用車を有し、両親と弟2人と同居し、父親と弟2人は就労していることから、実母による監護が著しく困難又は不適当という事情が認められないとしている。

しかし、これではたまたま母が一度の過ちにより、高校在学中に妊娠し、未認知の子の母となったものの、その後自らの意思等で立派に更生し自活能を得たときは、子は特別養子とは認められないことになる。これとは反対に、実母が出産後も生活が杜撰で、収入もなく、貯金もないという子にとって、実母が世間一般から道徳的にも非難されるような生活態度にあるときはかえって特別養子が認められるということになる。

しかし、これでは、そもそも「子の利益のため」という命題が子とは全く関係のない実母の出産し、養子縁組に同意した後の生活態度如何という偶然によって決せられてしまう。

原審判は、1(3)のように「事件本人子が申立人らに引取られたころから現在までの事件本人母の側の状況を全体的に考察し、子の利益のためその実親子関係を断絶することが相当か」という判断基準を示しながら、実際には「子の利益のため」という基本的観点は、全く抜け落ちているのである。

4 そもそも特別養子制度は、普通養子制度と比べて子の福祉を図る、その健全な育成を図るという目的のためにより適した制度である。すなわち、普通養子制度では実方との親子関係が存在するので子にとって二組の親ができる。いつでも離縁ができるし、戸籍も養子であることがはっきり記載され、第三者からみてもわかるようになっている。

これに対し、特別養子制度では、実方との親族関係が原則として断絶し、戸籍上も養子として記載されず、実親子関係と同様に、養親の長男、長女と記載され第三者からも養子関係が判断されず、養親を本当の親、あるいは養子を本当の子と思うような心理的な安定を得ることができるものである。

要するに、子からみると養親が唯一の親であるということになり、かつそのことが戸籍上も明確に記載されることによって、養子は父母の家庭内で確保たる地位があることを知り、心理的に安定するし、養親からみても自分の本当の子と同じように安心して育てられるということになる。

そもそも、かような制度趣旨から考察すると、同条項の「子の利益のため特に必要がある」とは、「特別養子縁組によって新たに強固で安定した親子関係が設定されることになり、これによって子の監護、養育の状況が永続的に確定的に向上する場合」と解される(新しい養子法、法務省民事局参事官細川清、社団法人民事法情報センター、36頁)。

5 さて、本件について検討すると

事件本人子は、現時点においても依然未認知の子であり、事件本人母は父とは出産後しばらくして交際を絶っており、今後とも認知の可能性は絶無である。

また、事件本人母は当面婚姻の予定はないとしても、昭和40年生れで今年24歳という適齢期にある未婚の女性であり、いつ何時良き伴侶に恵れ、婚姻するという事態も充分にありうる。

そして何よりも、現在においても事件本人母が特別養子縁組に同意しているばかりか、事件本人子を養育・監護する意思は全くないことである。

原審は、事件本人母の収入、資力、生活態度等を前記要保護要件の判断要素にあげているが、この子の利益のために最も重要な事件本人母の養育・監護の意思・意欲を全く判断外としていることは、根本的に批判されるべきところである。

そして、同居している事件本人母の両親も、現在の時点で事件本人子の養育・監護の意思も、意欲もないのである。

また、収入・資産もあるとの評価があるが、現状では、喫茶店のアルバイト店員で月収約10万円程であり、決して経済的に安定しているとまでは言い難い。

他方、事件本人子は、原審も認定しているとおり、出産後間もなく、申立人らで命名のうえ出生届をなし、爾来実子として熱意愛情をもって養育・監護して来ている。

まさに、「わらの上からの養子」であって、子も5歳となり徐々に物心もつき、申立人らを実の両親と露ほども疑わず、健やかに成長しているのである。

もちろん、申立人側の養親としての適格性については、その経済的面、性格、愛情、夫婦間の中の良さ等いずれをとっても非のうちどころがない。

しかも、養子縁組当時は、特別養子縁組制度は立法とされておらず、やむなく普通養子縁組に甘んじ、今回に至っているのである。

現在の養子縁組のままでは、戸籍上のみならず、通常頻繁に使用し、子の目にも触れやすい健康保険証にも戸籍上の「養女」が子の欄に記載されている。

事件本人子が18歳ないし20歳というある程度精神的に成熟した段階で、自分は真実は養子であり、本当の両親は申立人らと別だということを知っても、まだその心理的衝撃に耐えるだけの精神力、判断力を備えていることが期待できるものの、今後小学校高学年さらに中学校、高校生という通常でも精神的に不安定で、精神的にも肉体的にも未熟な段階で、ふとしたはずみで自分の出生の秘密を知ったときのその精神的衝撃はいかばかりのものであろうか。まして父は認知しておらず、その際本人の一生を左右する性格・人生観等にとり返しのつかない悪影響を与えてしまう危険性を常にはらんでいる。養親である申立人らもかかる事態が突発することに怯え年中この点の疑念が頭から離れないというのが、偽らざる心境である。

かような点からすれば、まさに現時点において特別養子縁組によって新たに強固で安定した親子関係が設定されることにより、子の監護・養育の状況が永続的に確定的に向上するという「子の利益のために特に必要がある」という要件は当然に認められるというべきである。

6 「養子となる者の監護が著しく困難又は不適当であることその他特別の事情がある場合」の判断にあたっても、前記のとおり現在の時点の要件を鑑みても、事件本人母が子を養育・監護する意思・意欲は全くなく、その両親も同様であること、そしてこの義育意思がないことから事件本人子の母には監護が著しく困難又は不適当であるという法的評価があてはまること、事件本人母もいつ何時でも婚姻し、ますますその監護が困難となる状況も近いうちに予想されうること、父からの認知の可能性は全くなく、その意味で子の養育・監護が著しく困難又は不適当であるという事情は、全く変っていないこと、それとひきかえ事件本人子にとって、その将来にわたり心理的安定を図り健全な成長を期するため、特別養子制度の必要性がますます増大していること等から、本件ではその要件を充たし、特別養子縁組を是認するのが正当であり、家庭裁判所の子の福祉機関としての役割りを果たすことになると確信するものである。

〔参考〕 原審(青森家五所川原支 昭63(家)32号 平元. 2.15審判)<省略>

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